松坂屋コレクションとは
「松坂屋コレクション」は、昭和6(1931)年~昭和14(1939)年までの9年間、松坂屋が高級呉服のデザインの参考にするため、全国から数多く収集した江戸時代以前の染織工芸品(時代衣裳を中心に、染織裂、雛形本、能面など)のコレクションの総称です。
これらの収集品は戦中・戦後を通して企業秘密ということもあり、一般公開されることなく、松坂屋京都仕入店で保管されていましたが、平成22(2010)年に京都仕入店の閉鎖に伴い、松坂屋創業の地である名古屋に移管されることになり、平成23(2011)年に一般財団法人 J.フロント リテイリング史料館と名古屋市博物館、徳川美術館に収蔵される際に松坂屋コレクションと呼ばれることとなりました。
当史料館が所蔵する、国の重要文化財指定の衣裳5点を含む松坂屋コレクションの総点数は約1500点で、時代衣裳は、江戸時代以前の小袖、帷子、紅型、能装束など約800点を数え、全国有数といわれています。
染織名作展の開催
昭和9(1934)年、京都仕入店内に最高級のきものの制作・販売を目的とする「名作研究会」が発足し、その発表会である第1回の高級呉服催事「染織名作展」を翌年(昭和10年)東京、大阪、名古屋の3会場で開催しました。染織名作展は、戦争により昭和13(1938)年の第3回展のあと一時中断しましたが、昭和25(1950)年に再開すると、その後業界注目の名物催事に発展し、昭和56(1981)年の第35回展では過去最高の7億9千万円の売上を記録しました。
平成20年から一般公開
松坂屋は平成20(2008)年から、それまで非公開だった染織コレクションの一般公開を開始しました。最初に「小袖 江戸のオートクチュール」展を、名古屋、東京、大阪で開催し、コレクション約300点を一挙に公開しました。この大公開に踏み切ったのは、時代を超えて世界の染織文化に寄与するという、京都仕入店「染織参考室」設立の意義を尊重したことによるものでした。以後、文化貢献を目的に全国のさまざまな展覧会に出展を行い、松坂屋のコレクションは、染織研究者や学術関係者などから大いに注目されることになりました。平成29(2017)年には、フランス国立ギメ東洋美術館でも展示し、海外でも大きな関心を集めました。
年度 | 展覧会 | 会場 | 出品数 |
---|---|---|---|
2008 | 小袖 江戸のオートクチュール | 名古屋市博物館 サントリー美術館 大阪市立美術館 |
308点 |
2011 | 松坂屋創業400周年・松坂屋美術館20周年記念松坂屋コレクション | 松坂屋美術館 | 108点 |
2011 | 松坂屋コレクション能装束・能面展 | 国立能楽堂 | 119点 |
2012 | 沖縄復帰40周年記念紅型 琉球王朝のいろとかたち | 沖縄県立博物館 サントリー美術館 大阪市立美術館 松坂屋美術館 |
45点 |
2017 | KIMONO, Au bonheur des dames(着物 女性の幸せ) | フランス国立 ギメ東洋美術館 |
120点 |
2019 | 琉球の美 | 岡崎市美術博物館 | 32点 |
2020 | 特別展「きもの KIMONO」 | 東京国立博物館 | 28点 |
2020 | 特別展「模様を着る」 | 名古屋市博物館 | 162点 |
2021 | 松坂屋創業410周年・松坂屋美術館30周年記念うつくしき和色の世界 -KIMONO- | 松坂屋美術館 | 160点 |
松坂屋コレクション
聖地は京都だった
京都仕入店の開設
元文5(1740)年から尾張藩の呉服御用を務めていた松坂屋(当時の商号は伊藤屋)は、延亨2(1745)年、京都錦小路に高級呉服の仕入店舗として「京都仕入店」を構えました。その4年後、新町通六角下ルへ移転し、後に大火による類焼や、蛤御門の変の戦火による焼失という惨事に見舞われましたが、店舗はその都度再建されました。
明治に入ると、京都仕入店は松坂屋のオリジナル高級呉服の制作拠点として、積極的にデザイナーの育成に努めるようになりました。そのデザイナーのなかには、染織の「型絵染」で後に人間国宝に認定された稲垣稔次郎(いながきとしじろう)もいましたが、当時の稲垣の貴重な作品の数々が京都仕入店に残されました。
人間国宝・稲垣稔次郎 京都仕入店時代の作品
松坂屋コレクションの収集活動
時代衣裳を収集し、染織意匠の向上と優秀呉服の制作に資することを目的に、松坂屋は昭和6(1931)年から江戸時代以前の貴重な染織品や工芸品などの収集をはじめ、その数は約1万点に及びました。収集先には、加賀前田家、洋画家・岡田三郎助、染織工芸家・岸本景春など、錚錚たる顔ぶれが名を連ねていました。
昭和6年から9年間で収集した
染織工芸品の数々
雛形本とは、いわゆる「小袖の見本帳」です。流行りの小袖模様や意匠を描いた木版刷りの冊子で、江戸時代中期に数多く刊行されました。小袖の背面図を中心に、文様や技法、配色などを示すのが一般的な形式です。再版を含めた出版総数は200種類弱といわれ、史料館はその約半数を所蔵しており、コレクションとしては国内最大級です。
保存体制の確立
収集された染織品は、当初は京都仕入店の土蔵を改装して保管されていましたが、保存管理状態は理想的とはいえませんでした。松坂屋はこれらの染織品を貴重な服飾文化遺産として後世に残す必要があるとの判断から、昭和32(1957)年にコレクションの収蔵庫として「染織参考館」を京都仕入店敷地内に建設しました。その建物は、奈良の正倉院を参考に設計された鉄筋コンクリートの二階建てで、内装は総檜張りとし、当時最高の空調・防災設備を備えていました。染織参考館の建設により、コレクションの永久保存体制が整い、その後半世紀以上にわたって大切に保管されましたが、平成22(2010)年に京都仕入店の閉鎖に伴い、コレクションは名古屋に移管されることになりました。
松坂屋コレクションのうち、江戸時代の小袖1点と、桃山~江戸初期の能装束4点が国の重要文化財に指定されています。そして、いずれも文化庁の重文指定理由に共通しているのは、「これほど良好な状態で残っているのは大変珍しい」という高い評価でした。半世紀以上に亘り松坂屋コレクションが大切に保管されてきた京都・染織参考館の保存レベルの高さを裏付けるものといえましょう。
松坂屋コレクションと
岡田三郎助
松坂屋コレクションには、昭和9(1934)年に松坂屋が洋画家・岡田三郎助から譲り受けた衣裳147点、裂751点が含まれており、衣裳のうち60点にも及ぶ琉球衣裳「紅型」のコレクションは目を引きます。
岡田三郎助は、明治から昭和初期にかけて日本の近代洋画史に大きな足跡を残した洋画壇の重鎮で、昭和12(1937)年には文化勲章を受章しています。「美人画の岡田」、「婦人画の岡田」と呼ばれ、美しい女性をモデルにした作品を好んで描きました。切手の図案に採用されている作品もいくつかあります。
画家としての名声もさることながら小袖や裂など染織工芸品の収集家としても有名で、そのコレクションは質量ともに他の追随を許さぬ素晴らしさでした。超一流のコレクターであり、鋭い鑑識眼も備えていた岡田三郎助は、自身が収集した衣裳をモデルに着せて筆をふるい、「あやめの衣」「支那絹の前」「来信」などの名画を残しました。その作品のモデルが着ていた衣裳の数々が松坂屋コレクションに残されているのです。
岡田作品(絵)と松坂屋コレクション
松坂屋は岡田三郎助から衣裳類を譲り受ける交渉の際、岡田コレクションを永久保存することを約束しました。岡田画伯が深く愛した衣裳の数々を手放し、松坂屋に譲る気になったのは、その約束が画伯の心を動かしたからと伝えられています。