Vol.44 松坂屋の年賀状|松坂屋史料室
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明治後期から昭和初期「恵比須像・大黒像」 「えびす盃」「上野広小路正月の賑ひ」(歌川国芳 天保年間)ポスター 昭和26年マツサカヤ 昭和8年モーラ 大正6年衣道楽 明治42年マツサカヤ 昭和5年モーラ 明治44年衣道楽 明治40年松坂屋は明治39(1906)年にPR誌「衣道楽」を創刊し、その第2号、明治40(1907)年1月発行の誌面には「謹賀新年」の広告を掲載。その後もPR誌「モーラ」「マツサカヤ」の表紙やポスターなど常に斬新なデザインでお正月を表現していました。松坂屋のお正月お正月の広告「えびす屋」初代島田八郎左衛門が、幼なじみといわれる8代将軍徳川吉宗から賜ったとされる由緒あるもので、えびす屋の商号もこの拝領に因んだものといわれています。えびす屋(恵比須屋、蛭子屋、夷屋、恵美寿屋とも)は明治8(1875)年に為替方が破綻したため、呉服店も手放さざるを得なくなり、屋号、商品、店員すべてを伊藤家が買収した時に継承したものです。明治時代に郵便制度が整う中、明治33(1900)年以降、私製はがきが郵便物として利用できるようになると年賀はがきでのご挨拶が本格化。次第に様々な趣向が凝らされるようになり、松坂屋の年賀状もその時代の変化とともに種々の意匠が加えられ華やかなものとなっていきました。「干支手ぬぐい」(平成9年丑年)「願かけ牛」は、長崎県佐世保市の郷土玩具で、室町時代の言い伝えに由来する縁起物です。大願成就の「赤牛」と、厄よけや家内安全を願う「黒牛」の2種類があります。上野広小路(下谷広小路)は、寛永寺門前を南北にのびる大通りで、その通りに面した「いとう松坂屋」(上野店)前のお正月風景を、美しいファッションとともに歌川国芳が描いた浮世絵です。店は長暖簾に白く屋号を染め抜き、暖簾の合間から麻上下が見られます。芸者に交じって凧揚げ、角兵衛獅子、回礼(年賀に方々を回ること)の男女など、正月らしいとても華やいだ構図になっています。明治29(1896)年明治38(1905)年明治39(1906)年昭和3(1928)年昭和5(1930)年昭和7(1932)年あさがみしもかく べ え じ しかいれい

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