松坂屋史料室のWEBサイトはこちらから▶大正時代昭和時代平成~令和時代第一次世界大戦後の好況下、いとう呉服店は上野店新本館の建築に踏み切った。大正5年(1916)12月に第1期、翌年10月に第2期の開店を行った。新店舗の建設により東京営業部(上野店)は1916年度の売上高で名古屋営業部(名古屋店)を抜くなど、業績は好調に推移したが、大正12年(1923)関東大震災時の類焼により店舗は焼失することとなった。〈上野店新店舗の開店と関東大震災〉大正13年(1924)12月1日、関東大震災後の銀座復興の先陣を切り銀座地区における初の百貨店として松坂屋銀座店が開店した。開店にあたり、わが国の百貨店史上初の土足入場を断行したところ、以後同業各社も追随して百貨店の大衆化が本格化した。〈銀座地区初の百貨店を出店〉上 野銀 座関東大震災で焼失した上野店の新店舗が昭和4年(1929)開店した。延床面積25,000㎡のルネサンス様式の荘厳華麗な建物は、東京の名建築に数えられた。わが国初のエレベーターガールが登場したのもこの時で、昭和6年には、食堂のメニューに「お子様ランチ」が加わった。〈震災後の上野店新店舗開店〉銀座店は昭和39年(1964)に世界的な建築家アントニン・レーモンドの設計による増改築で銀座にふさわしいハイクラスの百貨店に生まれ変わった。新装オープンにあわせ制作された松坂屋CMソング(永六輔作詞、中村八大作曲)は現在も松坂屋全店で閉店時のBGMに使われている名曲である。〈戦後の増改築〉上 野銀 座昭和5年(1930)1月1日、地下鉄銀座線の「上野広小路」駅が開業し、改札口と上野店地下食料品売場がつながった。上野広小路駅は、当初の建設計画にはなかったが、交通機関との連絡に着目した松坂屋が申請して追加されたもので、上野店は地下鉄と直結した日本で最初の百貨店となった。〈地下鉄と直結した初の百貨店〉昭和39年(1964)10月開催の東京オリンピックにあわせて外装を一新した銀座店は、外壁に大々的な装飾を施してオリンピックムードを高めるとともに、代々木の選手村には百貨店で唯一の売店を構えるなど、終始オリンピック商戦をリードした。〈東京オリンピック商戦〉上 野銀 座上野店南館の建て替えにより平成29年11月に上野フロンティアタワーが開業した。地下1階に松坂屋、1階から6階はパルコを展開し、映画館、オフィスフロアを設け、地域の新たなランドマークとなる複合商業ビルとして上野店の飛躍的な集客力向上につながり、エリア全体の活性化に貢献している。〈上野フロンティアタワー開業〉平成25年6月に銀座店は営業を終了し、その跡地を含む銀座6丁目の2街区が一体開発され、平成29年4月銀座地区最大のラグジュアリーモールとして「GINZA SIX」が誕生した。約240のブランドが集結し東京だけではなく、日本全国さらには世界からも大きな注目を集めている。〈GINZA SIX開業〉上 野銀 座大正時代の上野店エレベーターガールお子様ランチ(再現)開店当時の銀座店土足入場昭和4年落成の上野店新店舗新装銀座店の外観上野広小路駅選手村売店オリンピックムード一色の銀座店上野店本館と上野フロンティアタワーGINZA SIX
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