松坂屋 史料室 企画展 Vol.40東京における松坂屋の歴史は1768年(明和5)、名古屋の伊藤屋が上野広小路にあった呉服店「松坂屋」を買収し、「いとう松坂屋」として営業を開始したときに始まる。その後松坂屋上野店は1970年代初頭まで名古屋店を凌ぐ売上高でグループを牽引し、銀座店も1924年(大正13)に銀座地区初の百貨店として開業後、常に新機軸を打ち出した。江戸進出から250余年、日本最大の消費地において精力的に営業活動を展開してきた松坂屋の歴史を振り返る。江戸・東京における松坂屋ヒストリー会期 : 令和元年11月29日(金)→令和2年2月24日(月・振)会場 : 松坂屋名古屋店 南館7階・松坂屋史料室入場無料上野戦争の西郷隆盛(再現)陳列式に改装した上野店(1907)陳列販売安永元年上野店外郭図(上)・店内見取り図(下)(1772年)「上野広小路正月の賑ひ」(歌川国芳1830年~1844年)江戸時代明治時代1768年(明和5)松坂屋創業家である伊藤家11代伊藤次郎左衛門祐恵は、わが国最大の消費市場である江戸への進出を果たした。当時新興の盛り場上野広小路の「松坂屋」を買収し「いとう松坂屋」とした。〈江戸進出〉すけ よし「江戸買物独案内」(1824年)の中の亀店亀店外観図順調に商いを伸ばしていった上野店は、1805年(文化2)江戸の問屋街・大伝馬町に木綿問屋「伊藤屋」(亀店)を開業した。問屋を兼業することで口銭(手数料)を排除し、廉価に販売しようとしたのである。〈木綿問屋を兼業〉かめだな「下谷広小路」(「名所江戸百景」歌川広重、1856年)引札上野戦争地図1855年安政の大地震により全焼した上野店は、直ちに店舗の再建に着手し、翌1856年(安政3)9月に完成し新築大売出しを行った。その際に江戸全域へ引札(チラシ広告)を配布した宣伝効果もあり売上高は3日間で3,150両に達した。このとき新築の上野店を描いたのが、歌川広重の「下谷広小路」(「名所江戸百景」)である。〈安政の大地震からの復興〉1868年(慶応4)5月15日、官軍と彰義隊の戦いである上野戦争が勃発した。このとき官軍が上野店の2階に本営を構えたことが幸いしたのか、広小路一帯が焼け野原となる中、上野店だけが焼けずに残った。〈上野戦争〉明治40年(1907)、店舗の大改装に踏み切った上野店は、ショーウインドーを巡らし、ショーケースを並べて陳列販売を開始した。江戸時代から続く座売りからの大転換であった。女性店員を初めて採用したのもこの時で、3年後の明治43年に株式会社いとう呉服店を設立し百貨店経営をスタートする先駆けとなった。〈座売りから陳列販売へ〉ひきふだ上 野上 野上 野上 野上 野
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