重要文化財に指定(2011年、2018年)「染織名作展」の開催(1935年~2013年)松坂屋コレクション永久保存体制の確立(1957年~)松坂屋コレクションの一般公開開始(2008年~)下の松坂屋コレクションを参考に染織名作展で受注・制作された「貝桶模様振袖」(昭和50年代)松坂屋コレクション「貝桶模様振袖」(江戸後期)※展示期間:5月24日(金)→7月9日(火)創業370年記念・第35回染織名作展図録(1981年)染織史料の宝庫「染織参考館」「小袖 江戸のオートクチュール」展のポスター(2008年サントリー美術館)第1回染織名作展図録(1935年)2011年重文指定「染分綸子地御所車花鳥文様繡箔小袖」(江戸初期)2018年重文指定「紺地菖蒲蓬菊桐文様小袖」(桃山時代)2018年重文指定「茶地紋入格子文様厚板」(江戸初期)2018年重文指定「薄黄地紋入格子鱗文様肩裾厚板」(桃山時代)2018年重文指定「萌黄地紋入格子縞藤文様片身替厚板」(桃山時代)2008年の大公開から3年後の2011年(平成23)に、松坂屋コレクションの江戸初期の小袖1点が国の重要文化財に指定された。また2018年(平成30)には桃山~江戸初期の能装束4点が同様に重文指定となった。いずれも文化庁の指定理由に共通しているのは、「これほど良好な状態で残っているのは大変珍しい」という評価であった。半世紀以上に亘り松坂屋コレクションが大切に保管されてきた京都・染織参考館の保存レベルの高さを裏付けるものといえよう。ちそうやしろに収集した染織品を参考にして、最高級のきものを制作し販売することを目的に、1934年(昭和9)京都仕入店内に「名作研究会」が設置された。染の千總、織の矢代仁、帯の岡本といったわが国を代表する呉服の匠といわれる技術者6社の協力も得た。その発表会である第1回の高級呉服催事「染織名作展」が1935年(昭和10)に東京、大阪、名古屋の3会場で開催された。第3回展(1938年)の後、戦争で一時中断したが、1950年(昭和25年)に再開され、その後業界注目の名物催事に発展し、1981年(昭和56)の第35回展では過去最高の7億9千万円の売上を記録した。染織名作展は2013年(平成25)の第67回展をもって終了したが、その後は松坂屋の高級呉服催事「名匠コレクション」として引き継がれている。1931年~1939年の間に収集された染織品は、京都仕入店の土蔵を改装して保管されていたが、保存管理状態は理想的とはいえなかった。松坂屋はこれらの染織品を貴重な服飾文化遺産として後世に残す必要があるとの判断から、1957年(昭和32)にコレクションの収蔵庫として「染織参考館」を京都仕入店敷地内に建設した。その建物は奈良の正倉院を参考に設計された鉄筋コンクリートの二階建てで、内装は総檜張り、総面積は234㎡というまさに「染織の館」であった。当時最高の空調・防災設備を備えており、染織参考館の建設によりコレクションの永久保存体制が整った。その後半世紀以上にわたり保管されてきたが、2010年(平成22)に京都仕入店の閉鎖に伴って染織参考館も閉鎖となり、コレクションは名古屋に移管され保存・管理されることとなった。2008年(平成20)開催の「小袖 江戸のオートクチュール」展(名古屋市博物館、サントリー美術館ほか)において松坂屋コレクション約300点が一挙に公開された。実は、同業からのデザイン盗用を防ぐため、コレクションの品々は松坂屋のいわば企業秘密として、それまで積極的に公開されることがなかった。この大公開に踏み切ったのは、時代を経て世界の染織文化に寄与するという、京都仕入店「染織参考室」設立の意義を尊重したことによるものであった。松坂屋コレクションの公開は、わが国の染織研究者や学術関係者の注目の的となり、各方面の大きな関心を集めることとなった。※本企画展会場での松坂屋コレクション展示は「貝桶模様振袖」を除き、すべてパネル展示となります。
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