Vol.35 第17代 伊藤次郎左衛門と松坂屋|松坂屋史料室
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在りし日の伊藤次郎左衛門祐洋氏(社長時代)社長在任中の主な出来事ロサンゼルス松坂屋開店でテープカット(昭和55年)昭和55年10月2日、香港、パリに次ぐ第3番目の海外店舗・ロサンゼルス松坂屋が、伊藤社長、伊藤会長、ロサンゼルス市長など6氏のテープカットによりオープンした。日系市民、在留邦人、日本人観光客などが開店前から駆けつけた。第139期社員総会で挨拶(昭和59年)伊藤社長は、第139期社員総会で「同業各社とも非常に厳しい決算となったが、当社においては全社員一丸となって収益性の追求に徹し、立派な業績を挙げることができた」と挨拶し、社員の日ごろの努力の積み重ねを称えた。社長就任披露パーティーを開催(昭和55年)新社長の就任披露パーティーが、昭和55年10月6日に名古屋観光ホテルで、9日に東京丸の内のパレスホテルで開かれた。政財界人をはじめ多くの著名人が出席し、イメージキャラクターの白都真理も参加するなど、会場は華やかな雰囲気につつまれた。売場を視察(昭和55年)名古屋店長から歳暮ギフトの商況を聞く伊藤社長。現場に精通する社長は「お客様がすぐ商品を見分けられるように、売場で買いやすいように、もっと皆さんに売り方の工夫をしてほしい。お客様の身に立ってください」と注文。会社創立70年を迎える(昭和55年)昭和55年に会社創立70年を迎えた松坂屋は、イメージキャラクターに女優・白都真理を起用し「格調プラスハイセンス、若々しさ」をアピールした。白都は、会社創立70年記念ポスターをはじめ、中元・歳暮ギフト、クレジットカードの広告などに登場した。創業370年を迎えて訓辞(昭和56年)昭和56年、松坂屋は創業から370年という節目の年を迎えた。年頭挨拶で伊藤社長は「伝統を誇り、心から感謝の気持ちを持つとともに、今まで以上にスピーディーに時代を先取りしていただきたい」と訓辞した。ロサンゼルス松坂屋を開店(昭和55年)松坂屋は昭和55年10月、アメリカ西海岸最大の都市であるロサンゼルスのリトル東京地区にロサンゼルス店を開店した。同地区の中心ウエラーコートにキーテナントとして出店したもので、1階にファッション商品、2階に赤坂飯店を配した。「第3期長期経営計画」を語る(昭和56年)1980年代前半の松坂屋の進むべき道を示した「第3期長期経営計画」がスタートするにあたり、伊藤社長は「確固たる経営基盤を確立し、新しい松坂屋の創造を」と語った。併せて人材の育成と活用が基本的な課題であるとも述べている。創業370年記念謝恩特別大廉売を開催(昭和56年)370年記念の大型商品催事「謝恩特別大廉売」を、関係会社の横浜松坂屋、山形松坂屋を含めた12店舗で一斉に開催した。「謝恩セールに相応しく、長年のお客様のご愛顧に心から応える感謝の気持ちを添えて行動するように」との社長の談話があった。懇親会で新入社員と交流(昭和56年)昭和56年度は693人が入社した。伊藤社長は4月7日に常磐女学院で行われた入社式で「時代の流れやお客様のニーズを機敏にキャッチし、チャンスを逃さないことが、何よりも大切である」と、積極的な行動を強調した。入社式典に続いて懇親会が行われた。香港松坂屋クインズウェイ店をオープン(昭和56年)松坂屋は、昭和50年4月に香港のコーズウェイベイに1号店を開店し、地域一番店といわれるまでに成長した。この成功をうけて昭和56年9月、地下鉄アモティ(金鐘)駅のクインズウェイ・ショッピングプラザの中に2号店を出店した。香港松坂屋クインズウェイ店でテープカット(昭和56年)松坂屋4番目の海外店であり、香港松坂屋としては第2号店のクインズウェイ店が、昭和56年9月25日、伊藤社長、山田日本総領事などのテープカットでオープンした。社長は「一層の精進を重ね、当社のイメージを益々向上させるように」と語った。売上高年間1千億円を突破(昭和56年)昭和56年、名古屋店が中部地区、また松坂屋として初めて年間(暦年)売上高1千億円を達成した。創業370年記念の大型商品催事、文化催事を相次いで開催し、さらには売場の見直し、活性化をはかったのが奏功した。藤華会で挨拶(昭和57年)主要取引先との親睦団体である「藤華会」で挨拶する伊藤社長。「昨年は創業370年を迎えた記念すべき一年でした。当社の総力を結集して開催した“謝恩セール”は、お取引先皆様方の多大なご協力により、大成功を収めました」包装紙・ショッピングバッグを一新(昭和57年)昭和57年6月から、包装紙とショッピングバッグを新しいデザインに切り替えた。パッケージデザイナー秋月繁氏の手になるもので、店花“カトレヤ”をモチーフに「格調プラスハイセンス、若々しさ」のイメージを表現した。
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