Vol.35 第17代 伊藤次郎左衛門と松坂屋|松坂屋史料室
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松坂屋 史料室 企画展 Vol.35平成30年7月2日、松坂屋の第4代社長、創業家第17代の伊藤次郎左衛門祐洋(旧名洋太郎)氏が逝去いたしました。享年85。伊藤氏は1980年代前半の昭和55年5月から60年4月まで、およそ5年間にわたって松坂屋の社長を務め、社業を発展させてまいりました。その経営は、老舗の重みを意識しながら「新しい松坂屋の創造」をめざしたものでありました。ここでは、「在りし日の伊藤次郎左衛門祐洋氏」「社長在任中の主な出来事」などをテーマに掲げ、その事績をたどります。 松坂屋第4代社長会社創立70年にあたる昭和55年5月、松坂屋の第4代社長に伊藤洋太郎(のちの次郎左衛門祐洋)氏が就任した。翌56年に迎える創業370年という、わが国の商業史上の一大エポックを控えての創業家嫡男の登場であった。当時、百貨店業界では“激動の80年代”を合言葉に、熾烈な企業間競争、業態間競争が各地で繰り広げられていた。こうした厳しい環境への対応に、47歳という若きエースが託されたのである。新社長は、翌年3月に第3期長期経営計画を策定し、従来の拡大路線から経営の質的強化へと方向転換をはかった。オーナー社長ならではの長期的展望であった。また、社内に対しては「エキサイティングな売場づくりと、スピーディーな行動の実践」「生き生きとした新しい松坂屋の創造」を呼びかけた。昭和60年4月、会長に就任。その後、第一線から退き、平成13年には取締役からも離れた。松坂屋最後の創業家社長である。会 期:平成30年10月19日(金)~11月27日(火)会 場:松坂屋名古屋店 南館7階・松坂屋史料室 入場無料第17代 伊藤次郎左衛門と松坂屋在りし日の伊藤次郎左衛門祐洋氏(常務~副社長時代)伊藤次郎左衛門祐洋(洋太郎)氏 略歴愛知県名古屋市で誕生。洋太郎と命名慶応義塾大学法学部卒(株)松坂屋本社入社取締役本社外国部長昭和 7年 7月昭和30年 3月昭和33年 2月昭和36年10月常務取締役本社外国部長兼企画室長専務取締役取締役副社長昭和40年10月昭和42年10月昭和43年 9月取締役社長取締役会長次郎左衛門祐洋と改名昭和55年 5月昭和60年 4月昭和62年 2月常務取締役に昇任(昭和40年)昭和40年に取締役から常務取締役に昇任した伊藤洋太郎氏は、企画部長と外国部長の要職を兼ね、名古屋と東京を往復した。大阪店の移転、フィリピン店の開店など、大きな問題に直面しながらも、前向きに取り組んだ。初午祭で商売繁昌と火災予防を祈願(昭和49年)稲荷社の祭りである初午祭は、本来は2月の最初の午の日に開催するものであるが、伊藤家では桜の季節の4月に行っている。お帳綴じ、大般若会が江戸時代から続いているのに対し、初午祭は昭和初期に始まった。初午祭で父とくつろぐ(昭和46年)揚輝荘で行われる初午祭には、松坂屋および関係会社の役員に加え、地元の政財界からも多数が参列した。一連の行事の後、父・祐茲会長、杉山元専務とくつろぐ伊藤副社長(当時)。「忙中閑あり」のひとこま。くずは店開店で玉串を捧げる(昭和49年)昭和49年10月10日、大阪くずはモール街の一角に、松坂屋の8店目となるくずは店を開店した。この日の人出は9万人。本格的な郊外店で、敷地内にはスーパー2店も店舗を構えていた。写真はオープンに先駆けて玉串奉奠を行う伊藤副社長(当時)。父の叙勲を祝う(昭和48年)松坂屋は創業以来、業界の健全な発展や地域住民の生活文化に寄与することを希求し、積極的に活動を行ってきた。昭和48年、こうした功績により、父の祐茲会長が産業功労者として「勲二等旭日章」を受章した。そのお祝いの席。お帳綴じで家訓を揮毫(昭和55年)商家には江戸時代から1月11日に「蔵開き」を行い、和紙を綴じて大福帳を作る「お帳綴じ」という風習があった。大福帳がなくなった現在、伊藤家ではこの日を新春恒例の家訓の書初めにあてている。これらの浄書は従業員食堂や休憩室に掲げられた。はつうまはつうまはんにゃえ伊藤家第17代 次郎左衛門祐洋氏
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