生誕120年 建築家 白井晟ーの書
生誕120年
建築家 白井晟ーの書
2025年4月2日(水)→8日(火)最終日は16時閉廊
顧之昏元
「書」に正統や異端があるとは思わないが、「字」をこえて「書」はない。悠久な歴史の中で彫琢され、この骨格・肉付けを完成してきた過程を信頼する私等は、絵画と判別できないカリグラフや恣意な創作墨象というような新語の感覚をもって「書」に対することはできない。
私が建築を生業としながらこの十数年、一日の約半分を習書にうずめることができたのは大きな恵みであった。しかし筆・墨をもって紙にむかうことはたしかに一つの「行」に違いなかったし、心と目と手の一如を不断に身につけていなければ「書」にならなかったという経験の反覆は、先達が生きていた時間や空間にわずかでもせまりたいという望みを深め、空間造型の無限の意味を省る何よりの励ましであった。
「顧之居書帖 二」 1976~白井晟一自筆序文より

白井晟一「痛一棒」
略歴
- 1917年
- 京都に生まれ、幼少より黄檗山万福寺で書や作法などの手ほどきを受ける
父の死後、姉の嫁ぎ先の日本画家・近藤浩一路に身を寄せる
- 1924年
- 京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)入学
- 1926年
- 美学者深田康算に「建築家になるなら哲学を」と啓示を受ける
- 1928年
- 渡欧、ハイデルベルク大学入学しヤスパースのゼミに通う
- 1931年
- パリで今泉篤男、林芙美子、マルロー、エレンブルグらと交流
- 1935年
- シベリヤ経由で帰国後、「近藤邸」の設計にかかわり、建築家の第一歩となる
- 1955年
- 「原爆堂計画」は白井の建築家として記念碑的な作品となる
- 1960年
- 戦後初の長期渡欧、帰国後に仏教思想、とくに道元に取りくみ『書』を行とするようになる
- 1961年
- 高村光太郎賞第1回建築部門受賞(秋ノ宮町役場、煥乎堂、松井田町役場、善照寺など)
- 1962年
- 中公新書の装丁を行う
- 1969年
- 建築年鑑賞、建築学会賞、毎日芸術賞(親和銀行本店)
- 1975年
- 日本サインデザイン賞(ノア・ビル)
- 1980年
- 第36回日本芸術院賞(親和銀行本店)、渋谷区立松濤美術館設計建築
- 1981年
- 石水館(静岡市立芹沢銈介美術館)設計建築
- 1982年
- 商空間デザイン特別賞(帝国ホテル本館地階の「亜門去茶廊」)
- 1983年
- 京都嵯峨野の「雲伴居」現場で死去、78歳1905年
- 書 集
- 『顧之居書帖 第一巻』鹿島出版会
『顧之居書帖 第二巻』形象社
- 装 幀
- 山本有三『路傍の石』新潮社
『恩地孝四郎版画集』形象社ほか
- 対 談
- 神代雄一郎 原 広司 栗田 勇 草野心平
白川 静 岡本太郎 前川國男 大江 宏
桑原武夫 宮嶋圀夫 など
- 展覧会
- 2010年 群馬県立近代美術館「建築家 白井晟一 精神と空間」 東京造形大学 「SIRAI,いま白井晟一の造形」 展
2022年 渋谷区立松濤美術館 開館40周年記念「白井晟一入門」
- 放 送
- 2022年 NHK日曜美術館「天使か悪魔か建築家 白井晟一」
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