此彼を繋ぐー 第12回 中野 純 陶芸展 中野龍田とともに
此彼を繋ぐー
第12回 中野 純 陶芸展
中野龍田とともに
2025年4月9日(水)→15日(火) 営業時間:10時〜19時 ※最終日は16時閉廊
此彼(しひ)を繋ぐ ── 中野龍田とともに
造形の仕事のなかで、これまでの「陶像」「祭器」「祠」「古代形象」に続くものとして、あらたに「舟」「守」「境」を制作している。いずれも古代の造形とそこから仄見える世界観に惹かれ取り組む作品群だ。手を動かすことで、往時の人々の世界観・自然観・人間観を探り現代を振り返る、自分にとって大切な営みとなっている。
一方、200年以上歳の離れた一族の先祖に、中野龍田という尾張出身の儒家/文人がいたことを知った。残された史料からその人生を辿りその著作や書画に触れる経験は、自身の制作をあらためて考える鏡となり、あらたなインスピレーションの源ともなった。
「此彼(しひ)を繋ぐ」の「此彼」とは、「此岸(しがん)」と「彼岸(ひがん)」を表す。古代の造形との交感の中で生まれた作品を、中野龍田の書画とのコラボレーションとして展示することで※ 一方では古代との、他方では2世紀前に生きた先祖との、二重の「此彼」を繋ぐものとなる。そして、その先に新しいなにかが見えてくれば...と、今回の個展を考えている。
中野 純

「祠」幅13.1×奥行13.1×高さ21.1cm

「境」(陶・藁紐)奥行16.2×高さ40.5cm幅可変

「守」(陶・棕梠紐)径12.5×高さ26.0cm(紐含む)

「舟」幅76.5×奥行20.0×高さ17.5cm
中野 純|略歴
陶芸家。1995年立野窯開窯。2000年松屋銀座にて初個展。以後名古屋、神戸、岡山、広島、熊本、福岡、金沢、富山、仙台にて個展開催。名古屋では今回12回目の開催となる。
通常の新作展のほか、企画展として2011年 石川国際交流サロン(金沢市)にて「中野純×蓬莱軒」展、2016年 白鳥庭園(名古屋市)にて「うつわあそび」展を開催し好評を得る。
工房は当初東京にあったが、2007年より千葉県長柄町へ移転。田畑と里山に囲まれた静かな環境の中、昔ながらの蹴り轆轤による成形と、天然灰釉の自然な色合いを大切に制作に打ち込む。一人で制作できるペースに合わせ、年に3〜4回のみ個展をする暮らしを20年以上続けている。
中野 龍田|略歴
(なかの りゅうでん 1756-1811)
江戸中〜後期の儒家。尾張の人(旧海部郡立田村、現在の愛西市新右エ門新田町)。龍田は号で、名は煥、字は季文。詩書画を能くする。桑名藩儒の兄中野春洞に従い桑名に移り、のち京都へ移る。1780年岡崎藩儒となるが2年で戻る。尾張藩校明倫堂教授であった儒学者・岡田新川に師事し、国分伯機、十時梅厓、川村益根等と交流を持つ。桜を謳った漢詩集『桜花百絶』(1783)、字書『四声玉篇和訓大成』6巻(1792)を著す。京都に暮らし、四辻大納言の師範を務める。
中野 純にとって龍田は216歳上の、一族の先祖にあたる。ルーツの土地である新右エ門新田は関ヶ原の戦いで落ち延びた中野新右衛門が開拓したとされ、現在も地名にその名が残り、「中埜氏墳域」の墓碑が子孫の手で今も大切に守られている。
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